『信仰を楽しみましょう』の2回目
昨夜、『信仰を楽しみましょう』の本を使った講座の第2回目がありました![]()
前回の内容は天地創造の部分で、信じられるかと聞かれて「う~ん
」と考え込んだのですが、今回は前回の内容が少しだけ理解できたように思います。シスターも「そんな風にして考えていって、ある日パッとすべてわかるのよ」とおっしゃってました。
天地創造…文字通り解釈してもわからないし、そうする必要もないんだなと思いました。
これは本に書いてあったことですが、科学と信仰は両立できるだろうかという項目です。
…他の多くの人は、「進化論の説があって、人間が猿から生まれたものだから、人間を作った神様なんて要らない」と言っています。これは本当でしょうか。面白いことには、今世紀(←前世紀ですねbyぱっぱ)の最高の進化論者の一人は、イエズス会員のテヤール・ド・シャルダン神父です。(フランス人の考古学者byぱっぱ)
私はまず、イエズス会というカトリックの神父さんが考古学者で、しかも進化論者というのに驚きました。
シスター曰く、この神父は、人間が猿から進化したかどうかは問題ではない、と。
…大切な問題は次のことでしょう。人間の出現で絶頂に達した進化は、行き当たりばったりに、盲目的に(←この表現は不適切だと思いますがそのまま書きますbyぱっぱ)進んでいったか、それとも思考力、自由、愛ある人間を目指して「誰かによって」方向づけられたか、ということです。
後者のほうがはるかにもっともらしく思われます。私たちは、その「誰か」を神様と言います。聖書の創世記の最初に「主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」とありますが、神話に近い内容である聖書の最初の数章は文字通りに解釈する必要はありません。神様はある動物を造り、後にその動物に「人間の心を吹き入れた」という考えは信仰には背いていません。
ここでもおもしろい話をシスターから聞いたのですが、人間は死ぬ時、最後に息を吐いて死ぬんだそうです。すぅっと吸って息絶えるのではなくて吐いて死ぬ…
人間は神様にいただいた息を返して死ぬ、というのはもっともらしく思えました。私が天地創造について文字通りに受け取っていたから全く理解できなかったんだなと思ってちょっと安心しました。私は大人になって頭が凝り固まってからこうやって勉強しているので、どうしても心で見ようとせず、頭で理解しようとしてしまうんですよね
まだまだわからないことだらけですが、あせらずやっていこうと思いました。ある日、ぱっとわかる日がくる…![]()
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